太鼓館

太鼓台タイムマシン川東

 

●「月刊タウン情報にいはま10月特大号」(昭和54年;AP企画発行、後すぐに廃刊)という小冊子に、当時太鼓台を運営していた自治会の地元太鼓台に関する400字ぐらいのコメントが載っておりました。これはそのレプリカです。コメントを尊重して、明らかに誤述と思われる記載もそのままにしてあります。

 

 ハッピ…
 ハチ巻…に沢津のネーム 

●沢津地区は現在の沢津町と高津町、それに清水町の一部と広範囲で、戸数も約1,000戸と多く、担き手の数にも恵まれています。昔から担き手の数が多いためにが強く、喧嘩をよくすることで有名でした。
●今は、喧嘩に使っていたエネルギーを、きれいに「担ぐ」ということで発散しています。
●昭和47年に半分、48年に残り半分を新調した時、四本柱を従来のパイプから欅(けやき)に変え、沢津が率先して無事故・平和運行を呼びかけたんです。
●沢津の太鼓台は、昔と較べると高さが低くなり、胴を絞ってスタイルをよくしています。ちょうど女の人の体型に似ています。きれいに担いて、観せて、きれいな状態で帰ってくる。
●もちろん太鼓台も大切な財産ですが、それを中心にしての精神的統一、連帯、これが一番の財産となるんじゃないかと思います。
●昔も今も担き手の気質自体はあまりかわっていませんね。   

 ハッピ…濃紺縁取り赤文字
 ハチ巻…両端が、黒文字

●太鼓台の歴史はおよそ300年前と言われています。最初はムシロ・笹に担き棒が2本という簡単なものです。今の姿に近くなったのが100年程前です。
●昔の上幕は一枚物を巻いていたそうです。欄間には彫刻があり、現在、それは大島に保存されています。
●太鼓台を担ぐ時のかけ声も、昔はゆっくりだったのだが、今はテンポも速くなってきたみたいです。
●新居浜の太鼓台といえば、何といっても喧嘩が有名ですけど、もともとは一番最初に神輿を迎えたい為に、先を争って競い合ったものだったといわれています。
●宇高の太鼓台の場合は、天幕が白、赤、濃淡の緑、黄、青の6色の縞模様で遠くからでもよくわかります。
●布団〆はジュウの四方を昇り龍下り龍でかこんでいます。また上幕は現在4枚で、御殿・鷲・竜をかたち造っています。
●住民一体となっての平和運行が宇高のモットーです。

 ハッピ…水色。裾に波模様
 ハチ巻…両端が水色、中央にのデザイン文字。

●現在の町太鼓台は、昭和47年・48年の2年がかりで新調したものです。
●今の幕の模様は日光の陽明門を型どった御殿に唐獅子と八大竜です。昔は俵藤太秀郷の百本足退治退治の幕でした。
●昔の太鼓台は有名な物語を図示してましたね。私の父親に聞いた話では、昔の太鼓は西条にあるような掛布団のある小さな型の太鼓だったそうです。
●昔の車は木製でタイヤになったのは戦後のことです。
●最近は平和運行ですが、それ以前は相手かまわず喧嘩をしたものです。喧嘩と言っても太鼓の喧嘩ですから後くされはありませんでした。
●町の太鼓台は萩生の太鼓台と一緒に「心のふるさと・日本の祭り」に昭和49年8月に出ました。
●それにしても昔の祭りは神主さんが宝剣を持って白馬にまたがりミコシの後について走り、儀式としての情緒がありましたナー。

本郷

 ハッピ…黒地に裾がの波模様
 ハチ巻…

●本郷の太鼓台といえば、氏神様である八幡さんが応神天皇をお祀りしているところから、その母親である神功皇后の三韓(朝鮮)征伐の図柄を上幕四面に描き出しており、これが他所の太鼓台にはない一番の大きな特徴でしょう。
●祭りと言うと、昔はどこの太鼓台も喧嘩っぱやかったですけれども、今はもうないですね。どこも平和運行を心掛けています。喧嘩をすれば怪我人や死人が出ますし太鼓台そのものも傷つく。太鼓台こそは修理をすれば済みますが、人が大きな怪我をしたり、亡くなったりしたのでは、何の為の祭りか!わかりませんしねェ…。
●修理といっても、今では大変なお金がかかり住民の皆さんにもかなり負担になりますしね。今では3,000万円越えますからねェ。これを部落で出しあうとなると大変ですよ。
●とにかく人命尊重ですね。かけがえのないものですから…。

山端

 ハッピ…縁取りの文字
 ハチ巻…桃色

●山端は宇高の分かれ庄屋で、沢津や宇高にくらべて、太鼓台の歴史は浅いです。
●幕の模様は金銀糸の刺繍をした武者絵があるくらいで、他所とくらべて特別変わったものではないです。画一的なものです。
●昔は、五穀豊穣の垂れ幕をしていたものですが、いつの間にか姿を消し、近頃では見かけませんね。服装も昔は襦袢・武道着を着てましたが、大阪の産業博・70年の万国博覧会以来、ハッピ着用が定着しました。
●太鼓台の醍醐味は金銀の刺繍で豪華絢爛、それに金額もはり、仕掛けが大きいこと。部落の総力をあげての運営・運行これです。
●新居浜の太鼓台の良さは小さい時から太鼓のそばで育ってない者にはわからないと思います。新居浜市民の意識の中、生活の中に太鼓が入っていますから、祭りになると自然にエキサイトしてきますね。昔は、太鼓台がもとで交際を絶つ!なんて信じられないような話もよく耳にしました。

田ノ上

 ハッピ…濃紺縁どり文字
 ハチ巻…両端が、中に文字

●昔、田ノ上には「榎本家」という大きな庄屋があり、昭和5年、部落の為に大口の寄付を出してくれ太鼓台を作ってくれました。太鼓を入れる倉も榎本の倉でした。他所は古くなったところを年ごとに作ってましたが、田ノ上のは一度に全部作りきれいだったので、皆んながえせらって「榎本太鼓」と言うた思いがします。
●今の太鼓台は、幕づくりで有名な新居浜の吉田さんの作品で、プロとしての第1回の作品なわけです。発注者・制作者どちらも満足のいくものが出来ず、作り直したり手直しを加えたりしたのもです。吉田さん・新居浜の者全部にとって有意義な太鼓よね。今は満足しとります。
●担いとる時は「担く」ということに集中し、部落根性・意地が一番強く出る時よね。昔はとにかく喧嘩が売り物だったね。
●現在、一同に皆が集中するのは太鼓だけじゃね。平和運行をモットーに自治会のシンボルとしてやらないかんと思とります。

松神子

 ハッピ…
 ハチ巻…ピンク

●松神子の太鼓台は淡路島の人間国宝・梶内照弘氏に制作を依頼し、昭和50年7月から53年8月20日に完成したものです。まるまる3年かかり、これは自慢できるものです。
●他所の幕は竜の剣がピカピカ光ってますが、松神子のはあまり光っていず幕のすべてが純金糸で出来ていますので、光があたると重みのある赤銅色になり大変きれいです。模様は他所とあまり変わらず武者人形・竜・御殿といったもので、昔からずーっと変わりません。
●太鼓の音が聞こえてくると、なにもかも忘れ気持ちが酔ってきます。美しく担いて長持ができる。他所の太鼓にできないことをする。これが太鼓の見せ場です。
●今の若い人は辛抱がきかないし肩が弱くなりましたね。担き手としては5060代の人が一番上手じゃないですか?
●太鼓のよさは部落の団結力と統制を誇示し、どれだけの人を集められるか!これにつきます。

新田

 ハッピ…4,5年前より茶色
 ハチ巻…昔から桃色

●昔から太鼓台といえば喧嘩がつきもので、喧嘩をしなければ祭りじゃないとまで言われたもんです。新居浜の太鼓祭りは「男祭り」「けんか祭」の異名を持ち、武勇を誇示・奨励する風潮・気風があって太鼓台の喧嘩に限り、警察の方でも黙認状態でした。
●新田の太鼓台の特徴としては、房が上物の正絹で色は水色。幕模様には勇ましいも登り鯉や鷹があることです。後は特別変わったところなないです。他所と同じ。とてもきれいないい太鼓ですので、今度、気を付けて見てやって下さい。
●昔は新田の太鼓台もよく喧嘩をした方ですが、今までに怪我人が一人出ただけで、亡くなった方が一人も出ていないことです、これは誇れることです。
●それに、代々自治会の役員の方々はじめ太鼓台のリーダーの方にいい人が出て、部落の団結力が強い。又、皆さんの熱心な支えがあり、今年も太鼓台の運行ができる。幸せに思っとります。

東浜

 ハッピ…青ネーム
 ハチ巻…豆しぼり

●太鼓台は53年の祭りに新調なったものです。幕の模様で特徴的なところは、歌舞伎役者の人形があることでしょう。やはり新しくなると担く人の意気ごみがちがってきます。古いと担く人も身が入らないようだったですが。役員の方々は色々なご苦労がおありでしょうが、人集めは以前ほど大変ではなくなったのではないかと思います。
●この地に生まれた人々は、小さい時から太鼓のある環境に育っていますので、太鼓の音、豪華絢爛な飾りが自然に受け入れられるのです。9月に入りますと心が騒ぎますね。
●一時「もう太鼓をやめたら」という話もあったんですが、3,4年前から意識が変わってきました。普段、青年団活動をしなくなった若い者達も、祭りは別です。とにかく、一番の行事ですよ。伝統の行事を子孫代々継承し、地区住民のコミュニケーション・融和を保つ。これが大切なことだと思います。

10阿島

 ハッピ…、丸文字
 ハチ巻…端が、黒色のネーム

●阿島の太鼓台の房は、京都で制作したもので、糸の太さも4.5ミリメートルと新居浜では一番大きいのです。幕は本絹で御殿、竜、鷲が描き出されており、これは新居浜の吉田さんに依頼、制作してもらったものです。バランスがとれていて格好がええです。
●ハッピは、袖口に5センチメートル幅で黒の縁取りがあります。始めに150枚作ったんですが足らなくなって、又250枚作りました。
●阿島は市の東端にあり、川東地区の太鼓台が集まる労災病院前までは8キロメートルもありますけん大分歩きます。しんどいですが、他のところに負けず「よくやった」と言ってもらえるように、今年も頑張って担きたいもんです。
●担き方の技量はまだまだですけんど、皆さん怪我もせずに、ようやってくれとります。
●統一行動のおかげで、他の太鼓台も阿島の方まで来てくれるので、部落の人たちも喜んでくれ、感謝しております。

番外又野

●又野は戸数170戸ばかりの小さな部落です。太鼓台が古くなり46年に運行をやめまして、50年に土居の東天満に身売りしました。
●昔、又野にも太鼓台があったということを子供達に伝承したく、有志10人が中心になって子供太鼓を製作しました。自治会員の手縫いですので運行した時は感無量でした。

番外楠崎

●戦後10年くらいは楠崎にも太鼓台がありました。当初はさみしい思いもしましたが、踏みきってやろうという人もいず、意見も多数をしめず現在にいたっています。

番外白浜

●今はありません。47年に太鼓台が分散しました。その当時は、他所の太鼓台を見ると皆んなやりたがり、話も具体化してましたが、今はもう太鼓熱もさめました。
●白浜の太鼓台は土台から大きく一廻り大きかった。喧嘩もよくやったものです。