太鼓館 西園寺穂純
プライベートルーム
西園寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(34)

平成24年 16(火)17(水)18(木) 

●今年は中日と楽日の見学となりました。初日は見に行けませんでしたが、いろいろ情報が入ってきました。特筆は、町指揮者のズボンのデザインでしょう。法被の背模様をそのまま利用した凄いデザイン、誰も考えつかない天才級のアイデアです。どうだ文句があるか。町の名札の字体も明朝体に戻されていました。

●本郷は何を思ったのか、指揮者と重係が伝説の緑ジャージの上下で胸に本郷の赤文字、そして上水引の名札が半紙に墨文字という約40年ほど過去へタイムスリップモードでの登場です。本郷がこんなオチャラケ姿で登場することは一寸信じられない気がしますが、これは一種の余裕でしょう。本郷も一段階ステップアップしたのだと思います。さて、昭和時代の本郷のトレードマークにはもう1つ「指揮者の白い野球帽」があったのですが、次回好機にはこれも復刻していただきたと思います。

●松乃木の名札が評判の芳しくなかった赤名札から黒名札に変更されて綺麗になっていました。その字体も変わっていました。

●注目の中日は、今にも雨が落ちそうな天気で近年の祭りにはない肌寒さです。今年、祭り前から山端と東雲に喧嘩の噂があり、ネット情報によると、開戦は新高橋より早い時間で、東雲から動くことはないとの噂です。これは見逃すわけには行きません。

●中日の川東西部地区の運行経路には小変更が加えられていました。従来、東雲方面から下ってきた太鼓列はファミマ沢津店交差点で右折東進し、たまもタクシー交差点から松の木入りしていたところ、今年は高津保育園入口でから松の木入りし、松の木自治会館前を通った後、たまもタクシー交差点を南進して沢津自治会館前を通過するように工夫されていました。丁度松の木地区を去年までとは逆回りする運行になりました。

●これは、西園寺穂純が小ホームページ上の企画「新居浜太鼓祭り88か所掲示板仕様」で展開していた巡回録において、「何故か川東西部(川東時代を含む。)の太鼓台行列は沢津自治会館前を通過しない」と記していたことと少しでも関連性があるのでしょうか。これを受けて対応したものならばちょっと嬉しい気もします。きっと西部の役員も小記事をご覧なのでしょう。さて、その変更が太鼓台列の進行に一瞬の隙を与えてしまったのかも知れないのです。大変な事態を引き起こしてしまいました。

●去年の喧嘩で浮島、宇高は運行自粛のため今年は6台運行です。松乃木、澤津、東雲、町、本郷、山端の順で松の木入りをしましたが、たまもタクシー交差点で澤津先頭に順序変えするため、松乃木はバス通りを東側パチンコ店前で待機、澤津は沢津自治会館方面へ進行、東雲は松乃木に続いてパチンコ店側へ、そして町は沢津自治会館側へ、続いて本郷も南側へ進みました。次の山端も南側へ行って、東雲と松乃木がそれに続く段取りでしょう。このまま行くと山端の次に東雲が追走する形になるのか、少し不安を感じながら、私は交差点北側で沢津自治会館方面を見つめていました。

●このままは行きはしなかったが不安は的中した。本郷の次に交差点内に山端が出てきたが、何と裸だ。何ら大声をあげるわけでもなく、ひたすら東に向けて走る。速い、もの凄く速い。東雲は構える様子もなく東へ引くが山端追いつく。ここに東に高津、西に垣生という逆ポジションの対戦が始まった。私は、この時点で勝負あったと思った。瞬殺などという言葉があるが、東雲は何らなす術もなく山端の早業にやられると思った。

●私は、町ファンであるから、山端にも東雲にもどちらにもそれ程の思い入れはない。垣生と高津という構図ではあるが、垣生内では町と山端はライバル関係にあったので山端を心の底からは応援できない。かと言って東雲も私とは全く無関係の地区である。どちらが勝っても負けても関係ない。でも強いてどちらかと言うと、そう簡単に新参者に勝たせる訳にはいかないから山端に勝って欲しい。

●山端はかつて八旛巧者と呼ばれ、昭和46年澤津戦以来近戦歴はないが百戦錬磨の老獪な太鼓台。加えて東雲は初戦である。東雲には気の毒だが、実力的には断然山端だろうから、軽く揉んだら手加減してやってくれ程度に考えていた。実際、山端は動きが良いが、東雲は動かない。予想通りだ。数回突いたところでガッツポーズが出た。ところが手が挙がったのは何と東雲の方だった。勝負の神様は気まぐれなのか、攻め続けた山端の太鼓が割れて勝負あり。まさかの大金星献上となった。仕掛けて負ける最も情けない結果だ。

●この喧嘩には至った経過など已むを得ない事情があったことは薄々承知している。喧嘩自体は仕方がないのかも知れないが、ここから後の行動が王者山端の評判を下げてしまったようだ。こんな無様な山端は見たくなかった。上水引の眠り猫が泣いていた。山端には再来年に向けて流石山端という復活を是非見せていただきたい。

●東雲は結果オーライということも出来ようが、反省点だらけであろう。一般論として奇襲攻撃をかけられれば大敗を覚悟しなければならない。何故、立ち合いであれほど焦らなければならなったのかを検証して今後に備えて欲しい。噂があったのならばこそ、各遭遇ポイントには必ず間者を仕立て伝令系統を確立するなどしておけば、がっぷり四つで戦えた筈だ。これこそが怪我防止の決め手であると思う。

●喧嘩後、太鼓行列は再開された。記念すべき沢津自治会館前で写真を撮影したが3葉しかない。澤津太鼓台の右前指揮者の仕草が迎えた太鼓台によって大きく異なる。

●沢津自治会館前で花束贈呈したら喫茶ピエロの巣前での贈呈は無いのかと思ったら、こちらでもあった。ここでは御花御礼幕が出ていたが、阿島、宇高、東雲、白浜、東浜、町及び松乃木(五十音順)の各太鼓台が澤津と友好太鼓台ということか。枕の四文字熟語が興味深い。

●河川敷公園に入る頃には雨も強くなり、4台になった各太鼓台は形ばかりの入場を終え順位をつけるかきくらべは実施されることもなく早々に退散した。

(241021新規上梓)
(241027加筆上梓)
(241118見直上梓)

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