太鼓館 西正寺穂純
プライベートルーム
西正寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(26)

平成16年 16(土)17(日)18(月)

●夏場からの相次ぐ台風の襲撃を受け、新居浜市内は大きな被害を被り、太鼓台の運行を全部自粛せよとの意見も多く聞かれる中での開催と相なりました。川東の又野・楠崎・新田・白浜・東浜・阿島の6台の太鼓台が出場を断念せざるを得なくなり、昨年のケンカで事実上出場停止になっている川東西部の町と川東の田の上を合わせた8台が欠場しましたので、出たのは川東西部6台、川東2台の計8台でした。上部・大生院・川西は全台出場しました。

●過去に例の無い特殊な状況下での太鼓祭りですので、出場する太鼓台には被災地域に配慮しながらもそれを元気付けなければならないという難題を背負っての運行を強いられ、例年以上の平和運行が求められました。ケンカのみならず一組の小競り合いさえも許されないのではないかというくらいの緊張状況だったと思います。特に、多くの欠場太鼓台を有する川東の運営は非常に厳しく、いったい何処をどんな風に運行をするのか注目されました。

●祭り前に、川東地区で参加する松神子と下郷の2太鼓台が川東西部の河川敷統一行動に参加するのではないか、という情報を太鼓祭り関係のインターネット掲示板の書き込みで知りました。しかし、新居浜市のホームページ等に掲載されている公式発表の運行予定では、川東地区の午前中は「地区内運行」とのことで、川東地区の河川敷参加のことは触れられていませんでした。書き込みの信憑性もかなり高いと思いましたので、私は、「実際の運行コースと参加台数をプレスリリースして公表してください」との意見を自分のホームページに個人意見として出しておきましたが、公式発表が訂正されることはありませんでした。

●今年は最終日が月曜日ですので私は仕事に出なければなりません。土日の初日中日で精一杯の祭り見物をしたいと思います。大きな期待の半面、川東・川東西部にはケンカの危険性がありました。今年に限らず欠場太鼓台が多い年は、外人部隊の人数も自然と多くなってしまいます。

●注目は八旛神社の統一氏参りです。普段は何の心配も要らない氏参りですが、昨年の最終日の宮入りで宇高と浮島・本郷が小競っていました。これがあまり後味の良くない小競りでしたので、ここで逢ったが百年目とばかりに報復行動や再襲に出てしまう太鼓台がありはしないかと心配されました。初日は二輪車を着けたままでの統一行動ですので、いくら予防線は張っていたとしても、何ぞの拍子に接触でもしようものなら、今年の祭りは終わってしまったも同然です。そんな注目の氏参りでした。

●この八旛神社統一氏参りはどうしても見たかったので、朝5時に起きて、高速を飛ばして7時半ごろに新居浜市内に入りました。新居浜インターから八旛さんへの道中にちょっと寄り道をして、松木坂井太鼓台、庄内太鼓台、新須賀太鼓台、東町太鼓台それに大江太鼓台を車中から垣間見ました。

●八旛さんには8時過ぎに着きました。八旛西から東雲と澤津が連れ立って来ています。八旛東からは浮島と本郷と山端が連れ立っています。宇高は少し遅れて下原バス停交差点から出てきました。宇高はやたら人が多いです。いざという時のために人数を揃えているのでしょうか。今年は土曜日であるのと注目度の高さも相まってか、八旛さんには沢山の観衆が来ています。多くの観衆が固唾を呑んで見守る中、さあいよいよ始まりました。今年は垣生勢から先に入場のようです。見たところ浮島は人が少ないです。浮島からここで仕掛ける様子は伺えません。本郷も動きはありません。

●各太鼓台は車をつけたまま本殿周りを終え、拝殿を正面に横一列に並びます。この時の並び順で、浮島が据えたすぐ西隣に宇高が据えます。一瞬だけ、宇高と浮島が互いを正面に見ますが、何も起こりませんでした。何も起こりませんでしたが、浮島は去年のことに懲りたのか、一刻たりとも棒端ロープから手を離しませんでした。

●町太鼓台は運行を自粛していますが、町の青年は先導旗を持って、拝殿東側の仮設足場に陣取っていました。今年は見られないと分かっていましたが、まあ町ファンとしてはこれだけでも嬉しかったです。とは言え、誤解の素にもなりかねませんので、「これ以降は自粛していてね」という気分です。しかし、「やっぱり町ゃおらんのは寂しいにゃぁ」の声がしきりに聞こえました。

●注目の統一氏参りは滞りなく終了し、各太鼓台は神社を後にしました。問題は明日の河川敷か。帰り道に浮島小学校の様子をちょっとだけ見て明日に備えることにしました。

●中日は、かねてからの念願だった沢津の瀛津神社に参拝してから、太鼓台の統一行動を追いかけました。太鼓台群には、宇高を経て東雲に向かう途中で合流しました。太鼓台は東雲自治会館前で花束贈呈を受けた後、北へ下がり、高津町のローソン交差点から沢津に入ります。今年は一目見てそれと分かる不参加の太鼓台の服装でいる人の群れも結構見かけました。

●県道に出た太鼓台には喫茶ピエロの巣付近で花束贈呈があって、そこから更に西進します。ちょうど労災病院あたりでは、例年ならばここで2列縦隊の隊形を採るのですが、今年は1列のままのようです。これは、宇高と浮島が接近しないようにと川東西部運営委が配慮したものだと容易に分かります。面白くないといえばそれに違いありませんが、少しでも危険性がある要素は先に摘み取っておく配慮を感じました。

●かき競べ会場は例年通りの人出です。こなから坂の南にピンク模様の太鼓台が居ます。どうやら松神子子供太鼓台のようですが、はて、何でここに居るのでしょうか不思議です。

●入場は、澤津、宇高、東雲、浮島、山端、本郷の順番で入りました。例年とは山端と本郷の順番が入れ替わっていますが、何かあったのでしょうか。そうこうしているうちに、本当に来ました来ました。松神子太鼓台と下郷太鼓台が国領川右岸の土手上を行き来しています。川東運営委車両2台も来ました。

●松神子と下郷も車を外して、こなから坂を下りて入場する模様です。気の利いたマイク放送もありませんが、下郷は河川敷初登場で、松神子は平成2年以来の登場になります。

●川東の2台も交えて、かき比べが始まりました。まあまあ普通の出来栄えで、どこも飛び切り上手いというわけではありません。途中で本郷が落としました。落とすと同時に正面を東に向けています。これはいけません。狙いは宇高でしょうが、宇高は直ぐには反応せず、2呼吸ほどした後呼応しました。本郷はかき棒に人が沢山乗っていてあまり動けません。宇高は押して引いて押して引いての機敏な動きが出来ています。両太鼓台の小競り合いには休場中の他地区の人も参入しているようでした。程なく両者引きました。除車はしていますので、この小競り合いは、けが人等はいなかったとは思いますが、今年の祭りを懸念していたケンカモードに移行させてしまいました。午後から以降の運行や上部・川西への影響度は計り知れなく大きなものがあり、今後への影響が心配されます。

●河川敷は松神子の退場の段になりました。退場時、松神子が澤津に持っていくことが心配されましたが、ここではそれが出来ないように、退場口までの間に運営委の車両を配し、自然に誘導レーンが形成されていました。この川東運営委の配慮には好感が持てました。

●河川敷公園への川東の太鼓台の参加については結果オーライでしたし、川東再統一への第一歩と評価する声もありました。しかし、私は、最後まで出場太鼓台名と運行経路がつまびらかにされないままであったことを非常に残念に思います。何故かといいますと、川東の河川敷参加は今までとは違う行動です。人間は今までと違う行動に接すると、感情の中に「何で?」という意識が働くのが普通です。私たちにはどうしてもあの平成9年の悪夢が頭を過ぎってしまいます。何も知らされていない一般の人たちがひょっこり現れた松神子太鼓台の姿を見れば、「また松神子が西部に越境してケンカしに来たのか」という感覚になってしまう危険性が大です。この要らぬケンカの素を摘んでおく必要性があったことを痛感します。松神子が河川敷に来るのは運行計画通りであることを川東・川東西部運営委は予め観衆に周知しておく必要があったのです。やろうと思えば出来たのにそれをしなかったことを大変残念に思います。

●この川東地区の運行が公式発表の地区内運行であるとはとても思えません。なぜ、両運営委は中日午前中の行動を河川敷8台と発表出来なかったのでしょうか。今までの複雑な経緯を全く知らないわけではありませんが、事実をありのままに伝えていかないと、市民の信頼は得られません。これは運営委の弱体化を招き、ひいては太鼓のケンカの遠因となることを心すべきではないでしょうか。

●私は、祭り前にもう1点、「かき競べ会場に巨大ゴミ箱の設置と5分間清掃を徹底を行って欲しい」旨をホームページで意見していました。見たところ、ゴミ箱は目に留まりませんでしたが、各太鼓台とも掃除の意識が高まってきていることは感じました。今後ともそうあり続けて欲しいと思います。

●河川敷が長びいたのと近くで昼食をとっていたら午後2時ぐらいになりました。まだ午後にどこに行こうか決めかねていました。多喜浜駅前はとうに諦めていますが、山根グランドで上部も見たいし、飯積神社も捨てがたいし、工場前という手もあります。「やっぱり山根グランドかな」と思い、坂井筋を南上しました。市役所前交差点ではまだ山根狙いでしたが、警察前あたりで「山根グランドは昭和の名太鼓新田が今年で見納めだが、川西の中須賀と西町も今の太鼓台は今年が最後らしい。1台と2台、さあどうする」などと考えが変わり、ふじ結婚式場の三叉路で右折しました。

●イオンの駐車場に車を置いても、まだ「ここからバスに乗ればまだ山根グランドはチャンスがある」などと迷っていました。しかし、漏れ聞こえる江口入り御礼のマイク放送とそのもの太鼓の音を耳にするともう観念しました。今年の午後は工場前に決めました。川西の太鼓台はリーガ前を病院前方面に進んでいます。

●川西の太鼓台は久しぶりです。平成9年以来の対面だと思います。だいたい、西正寺穂純が川西の太鼓台を見たことは数えるくらいしかありません。こと工場前に関しては、昭和40年台後半と昭和60年位に見に来たことがあるか程度で、ひょっとしたら病院前時代のことかもしれません。江口から来て旧病院前交差点から入るのは初めて見ます。前に見に来たときは逆だったような気がします。

●その病院前の商店街にはアーケードが払われていました。新田を先頭に大江・東町・新須賀・久保田・庄内と続きます。新田の花束贈呈仮設足場には新田色の地に菊水紋を染め抜いた幕できれいに装飾されていました。

●私も工場前交差点に流されて来ました。やはり工場前の記憶はありませんでした。まるっきり初めてです。今日は西正寺穂純の工場前デビューでした。庄内まで入って所定の位置に据えた後は西方の登場です。さあと思った瞬間、デジカメの電源が入らないのに気がつきました。何と電池切れです。この期に及んで何たる失態、工場前デビューは記録写真がありません。

●江口が入りました。正門前の久保田に持って行きますが、久保田はその気なしです。次に西町ですが、何と東側に据えてあった大江に持って行きました、はっはー。大江と西町が対峙中に中須賀も入場し、お相手は東町かと思ったらこちらも大江でした。結局、大江1台対西町・中須賀2台で東町は静観でした。最後に満を持して西原が正門前の新須賀に突っ込みます。西原は高欄幕が外れています。何度目かの突っ込みで西原から歓声があがり一部の人がガッツポーズをしています。新須賀側に損傷があったのでしょうか。何だかんだと言っても流石は川西、小競り合いは大迫力でした。

●黄昏てきたので、午後5時半ごろ工場前を後にしました。今年の祭り見物はここまでですが、大満足の西正寺穂純でした。ご機嫌のまま今治経由で松山に帰りました。帰宅後、山根グランドと多喜浜駅前で大騒動があったのをインターネットで知りました。

●最終日は仕事でしたが、帰宅後午後9時半からインターネットで太鼓祭り録画番組を見ました。最終日八旛神社宮入りの様子が数時間遅れですが松山に居ながら見られます。誠に便利な世時になったものだと思います。

●八旛神社には、昨日多喜浜駅前で川東運営委から解体命令が出されたと漏れ聞いていた松神子太鼓台も出場していました。何が何だかわけが分かりません。澤津太鼓台も平成12年以来4年ぶりの最終日八旛です。澤津は所作でもNHKホールで見せたようなダイナミックな放り上げが見事に決まっていました。

●かき競べは今年の特殊事情からか第1組を下郷・澤津・宇高・東雲の4太鼓台で行い、松神子・本郷・山端・浮島の4台が第2組でした。第1組はそれなりの舁きを披露しましたが、第2組が始まると直ぐに、浮島が宇高に持って行きました。本郷は澤津に持っていったように見えました。松神子は小競り合いなしでした。

(後日ビデオやインターネット情報から)

●17日多喜浜駅前で澤津太鼓台は、多喜浜・神郷地区の災害お見舞いの懸垂幕を前後2面にかけたままかき競べを行いました。これは台風被災地区に最大限配慮した沢津地区の気遣いが伝わってくる感動的な光景でありました。これをしてスタンドプレーだとかパフォーマンスだとかいう人もありますが、なかなか出来ることではありません。

●ところが、その澤津に対して松神子が昨年に引き続いて挑発行動を行ってしまい、とうとう川東運営委から解体命令が出た模様です。昨年からの経緯などからして松神子に対する解体命令発令は致し方なかったのではないかと思います。ところがのところが、松神子は18日の八旛さんに出場しています。命令を無視したのか、命令が解除されたのか外野では分かりかねますが、とても厄介なことになってしまいました。

●一度出された命令と違った結果のまま以降の祭りが進行するという前代未聞の祭礼運営に、川東運営委は解散したとのことです。このことで、「川東運営委は公式発表と事実が違うようなことをしているからだ、そら見たことか」などと言う気はありませんし、どちらかというと個人的には運営委に肩入れしたいのですが、結果的には、またまた公式発表と事実が違う事案を出してしまいました。これは運営委の弱体化を招きました。

●果たして来年は川東の各太鼓台は運行できるのか、今後の川東がどうなってしまうのか本当に心配です。逆に、今年も耐え続けた上に暖かい心遣いを見せた澤津は、平成13年の暴走で失った信頼と王者の風格を徐々にではあるが回復しつつあるように思いました。

●今日では、ケンカをしてしまうと最低でも当年と翌年の運行は停止されてしまいます。そればかりか、運営委の裁定結果や和解の進捗状況が芳しくなければ複数年の運行自粛も珍しくありません。この間、地域住民は他地区の市民の冷たい視線にじっと耐え続けなければなりませんし、例え1年休んでその翌年出場できたとしても、去年今年の澤津や数年前の久保田の例を出すまでも無く、休み明けの数年間は我慢に我慢を重ねた運行を余儀なくされてしまいます。しかし、これが世の中の掟なのです。

●上部では喜光地高祖が山根グランドでケンカになりました。山根グランドでは過去にも太鼓台が向きあったり棒が入ったりの小競り合いはあったと思いますが、ここでの着車のケンカは考えにくいのです。新居浜に残された最後の良識、この聖地山根の無残な姿は、多くの新居浜市民を悲しみのどん底に落とすに十分でした。

●台風の襲撃を受けた被災地域を見ながら、例年以上の平和運行を誓ったうえで開催に漕ぎ着けた今年の新居浜太鼓祭りでしたが、終わってみれば…哀しいです。精神的ダメージが大きいです。せめてもの救いは死者が出なかったことでしょう。

(161123最終上梓)
(161203併合上梓)

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