太鼓館 西正寺穂純
プライベートルーム
新居浜太鼓祭り回想録(14)

平成7年 16(月)17(火)18(水)

●何とも寂しい祭りとなってしまいました。去年の時点である程度の覚悟は出来ていたものの、川西は全休で今年統一行動初お目見えの予定だった新須賀も顔を出しません。上部も角野分と船木分8台が出場停止、川東でも白浜が自粛して例年通りのフル出場となったのは川東西部だけとなってしまいました。上部では松木坂井太鼓台が35年ぶりに復活との嬉しいニュースもありましたが、結局は川東西部6台(休場なし)川東7台(休場1台)川西0台(新須賀含めて休場9台)上部6台(泉川2台、中萩4台、休場8台)大生院3台(休場なし)の、全40台のうち出場22台休場18台という惨憺たる内容でした。殊に川西地区では祭礼期間も大人太鼓台の太鼓の音がドンともデンとも鳴らないありさました。

●14日は土曜日でしたので、例によって土居町の統一行動を見に行きました。収穫は4つでした。本郷(上野)太鼓台が本年新調となっていました。又野の高科さんの指導を受けた手作り太鼓台で良く見る図柄のお馴染みの仕上がりとなっていましたが、天幕が赤青白市松に変更されていました。天幕の変更と言えば、上天満太鼓台がピンク白グリーンの3色横縞という斬新なものとなっていました。宇高太鼓台のそれと近いものがありますが、ピンクの色はショッキングピンクです。津根太鼓台というのを初めて見ました。幕は喜光地太鼓台の幕と同一の幕です。旧阿島太鼓台の幕で、縫われてから何十年経つのかは知りませんが、第二・第三のお勤めを祭りの現場で迎えることが出来るこの幕は幸せであると思います。土居の統一行動では、新調予定のある太鼓台は入場の際にご披露がありますが平成10年に中村太鼓台と土居太鼓台が新調だそうです。土居太鼓台と言えば指揮者の腕章に「土居本郷太鼓台」との文字を見つけました。地元では本郷と呼ばれているのでしょうか。

●16日の夕刻は大生院のママイ駐車場に居ました。ここでは数年前から夜太鼓を舁いています。中萩分3台(萩生西・岸之下・中村の本郷)と大生院3台(下本郷・上本郷・岸影)の計6台です。土橋太鼓台は参加していません。中村の本郷は今年幕の総てが完成したもので、ここの幕はとにかく幕の厚みがとても分厚いです。新調後の岸影太鼓台と新営の上本郷太鼓台は初めて目にします。岸影の幕では高欄の虎が健在でした。少なくとも3代は続いています。しかし旧太鼓台がエメラルドカラーの色模様であったのに新しい太鼓台は黄色に変更されていました。上本郷太鼓台は紫色をシンボルカラーとしており、括りの巻きや貫きの他に天幕も赤白紫白の市松模様となっていました。この赤白紫白の市松模様の天幕は市内唯一図柄です。法被は緑色でした。大生院の3太鼓台はここでも隣の太鼓台とカキ棒をぴったりくっつけて差し上げを行う寄せの技を披露し大喝采を浴びていました。

●17日の河川敷公園と多喜浜駅前には足を運びました。特別変ったところは無かったですが例年に比べて2〜3割に人出が多かったと思います。夕方泉川のディック新居浜店前で昨年新調された上泉太鼓台と統一行動をとる松木坂井太鼓台を見ました。上から下まで黄色の雰囲気の太鼓台で法被まで黄色で統一されていました。幕図柄で上水引が本郷(垣生)太鼓台で有名な神功皇后三韓征伐の4枚続きの図柄でした。龍の向きや御座船の舳先の鳳凰の角度など本郷の物と全く同一ではありませんが良く縫われていました。聞くところによると中国へ発注したそうです。ただ、本来菊の紋章がデザインされているところへ「四つ寄せ松に井桁を中央におさめたマーク」が縫われており少し違和感があります。このマークと言いますか紋章は法被の背中や幕の符号にも使われており、松木坂井のシンボルマークであると理解できるのですが、神功皇后三韓征伐の図柄には似合わないのではないかと思います。ところで松木坂井は何故この図柄を採用したのでしょうか。地域に神功皇后に関する言い伝えでもあるのでしょうか。天幕は赤白縞のタテ付けでした。

●18日は新居浜東港の船神幸を初めて見ました。台船に乗せるのに35tクレーンを用いていたのが印象的でしたが、乗船から下船まで1時間半もかかるらしく何とも間延びしてしまって途中で帰ってしまいました。

●午後は例によって八旛神社ですが、太鼓台の雰囲気は例年と違っていました。指揮者もカキ夫も観客も今年は絶対にケンカをしてはいけないことを良〜く教育されていて、境内での担き比べもその場での担き上げだけに限定され前進さえも許されない状況でした。例年ならば2組ぐらい軽い突っかけ合いがあるのだがウンともスンともいいませんでした。酔っぱらいが町太鼓台の高欄幕を外し始めた時に少しだけ場内が沸きましたが、相手の太鼓台が見つからないばかりか町のカキ夫もすぐに引いて何事にもなりませんでした。

●平成7年は大人太鼓台にニュースらしいニュースが無かったので、子供太鼓台の記事が新聞紙上を賑わせました。上部では、西泉・西の端・北内が新調あい整ったとのことです。現物は一切見ていないのですが、西泉も金糸縫いが完成したらしいようです。北内は前コープタウンの子供太鼓台を50万円で購入したとのことです。これは元々旦の上子供太鼓台であって、北内で3度目のお勤めとなります。

●角野地区の古老から太鼓台のことを聞くチャンスに恵まれ、これで一つの疑問が解消しました。ケンカの組合わせで、角野の新田太鼓台は中筋太鼓台と友好関係にあったことが分かりました。また、泉川の3太鼓台同士はお互いに仲が良かったこと、ケンカは角野の太鼓台対泉川の太鼓台の対戦か北内対中筋の対戦になることが多かったこと、北内太鼓台と上泉太鼓台とは友好関係にあったとのことです。どれも地元民ならではの話でした。

 

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