太鼓館 西正寺穂純
プライベートルーム
新居浜太鼓祭り回想録(13)

平成6年 16(日)17(月)18(火)

●とんでもない年になってしまいました。1日目に新高橋の開通式があり、川東からは澤津・宇高・本郷が参加し、川西からは大江・久保田・新田が来ていました。澤津は法被を全部新調してきました。色を小豆色とし、背中には澤津の文字、丈が少し長くなり現代向きでカッコ良いです。久保田は土台ごと幕も全部サラにしていました。旧太鼓台を宇和町の会館に納めるので県費での交換とのことで、旧太鼓台の現役期間はたったの5年間でした。

●上部では、上泉太鼓台が復活しました。2日目の山根グランドにその姿を見ました。旧上泉太鼓台がどんな太鼓台であったのかは全然知りませんが、新しい太鼓台の幕は中国へ注文したそうです。上部統一寄せは船木分4台の太鼓台が入場せず9台で行なわれました。聞けば、長野喜光地が小競ったとのことです。小競れば一緒に行動しないのに限るので船木分の判断は正しいと思います。川東では2日目に白浜松神子が小競り(棒が入り相手の太鼓台の構造物を突付いているので西正寺穂純はケンカと判断しました)、翌3日は両太鼓台とも自主的に解体して運行を自粛せざるを得ませんでした。

●3日目は例によって八旛さんに行きましたが、いつもと比べて警察官の数がやたら少い。「皆上部へ行ってしもた」などの声も聞こえます。境内では宇高本郷澤津山端が棒を向けあいましたが無事終了しました。この時どこかの太鼓が重の中から「至急の旗」を出して乱振りして警察から叱られていました。始めて見たものでどんな目的に使うのか未だに分かりません。

●家に帰ると、川西で大江中須賀のケンカで死人が出たことと、上部では船木小学校の校庭で船木と喜光地を含む角野の合計8台が入り乱れた大ゲンカになったことを知りました。ショックだったのは上部のケンカでした。上部でのケンカは、昭和45年以来24年ぶりだと思います。川西のケンカで7台参戦という記録があったそうですが、8台は空前にして絶後の数字であろうと思います。

●ビデオで見るところによると、最終的には1長野喜光地高祖新田元船木北内池田中筋の組み合わせですが、初めのうちは喜光地1台に長野・高祖・元船木の3台が前と両サイドから攻撃しています。横倒しにされた喜光地、起きあがろうとしても何度も何度も長野の棒が容赦なく突きささります。この年のビデオは擦り切れるまで見ました。

 

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