太鼓館 西正寺穂純
プライベートルーム
新居浜太鼓祭り回想録(9)

平成2年 16(火)17(水)18(木)

●平成2年の祭りは何ともつまらない祭りとなってしまいました。本郷と阿島が不出場を余儀なくさた11台祭りとなりましたが、2日目の河川敷公園でまたもケンカが発生するのです。先に入っていた宇高を目がけて松神子が挑発行動に出ます。まるで去年の多喜浜駅前そっくりです。宇高はこの年の祭り後に松山出張が決定していたこともあって応じませんでした。応じないどころか少し引くような素振りを見せました。松神子は帰りましたが、この様子を見ていた楠崎も、ケンカせんのならオチョクルだけオチョクッとけとばかりに宇高めがけて猛スピードで突っ込んで来ました。楠崎としてはオチョクったらすぐに統一行動に復する算段だったのでしょうが、ここで予想外の行動が展開されます。何と宇高の隣に位置していた澤津太鼓台が我慢ならんとばかりに棒端を上げたのです。ここに楠崎澤津の久しぶり対決が始まりました。

●戦況は楠崎有利に展開していきます。太鼓台のケンカは先に仕掛けた方が絶対有利です。加えて楠崎と澤津では太鼓台自体の大きさが違いますし、何といっても当時の澤津の四本柱は木で出来ていましたので、ヘタをすれば沢津は四本柱を折られ九重が飛んでしまいかねない状況が続きました。ケンカは一時間近くも続きましたが、この間両太鼓台は車も飾り幕もつけたままでした。楠崎は決め手を欠き逆に澤津も良く凌いで痛み分けとなりました。この出入りで双方に3人の重傷者が出ました。内2人は太鼓台の車輪に轢かれたものです。このケンカのため両太鼓台は責任をとった格好で午後の運行を自粛しました。昔なら完全に一年間運行停止となるべきところだと思いますがずいぶん甘くなったものです。

●夕刻の多喜浜駅前は、多喜浜分の太鼓台は広場に入ったものの、町の段になって進行が止まりました。結局引き揚げてしまうのですが、賢明な策であったと思います。去年といい今年といい多喜浜・神郷分対垣生・高津分言いかえれば、八旛氏子対それ以外の全面抗争の様相を呈して来て何かイヤな雰囲気になりました。

●3日目、八旛さんへ行くと垣生・高津分の太鼓台は全部解体したらしいと聞きます。八旛さんへは本来の氏子の太鼓台が夕刻に一台も宮入りしないという何とも珍妙な宮入り風景となってしまいました。何年も八幡さんの宮入りを見て来たが、この年ほどつまらない年はありませんでした。流石の八旛ファンの私もこの時ばかりは川西へ足を向けました。

●町と宇高が時間差攻撃で宮入りしたという事実は後になって知りました。

 

太鼓館巻頭へ 1132 次「平成3年」へ