太鼓館 西正寺穂純
プライベートルーム
新居浜太鼓祭り回想録(8)

平成元年 16(月)17(火)18(水)

●平成と元号が変ったこの年もいろんな意味で特筆されるべき年です。一つは、土居町の太鼓台と西条は飯積神社氏子の太鼓台を写真に納めたこと。もう一つは川東で太鼓台の大ゲンカがあったことです。

●土居町には新居浜の太鼓台が多く嫁入りしているらしいことは薄々知っていて、実物を見てみたくなり昨年ぐらいから覗きに行っていたのですが、土居町ではこの年から土居町内の太鼓台が中日14日に海通橋西詰めの河川敷きで統一行動をするというので出かけました。目にした太鼓台は全部で13ありました。下天満・東天満・上天満・蕪崎・関・泉・内之川・本郷・畑野・入野・中村・小林・飯武です。このうち下天満・東天満・中村の太鼓台に見覚えがありました。下天満は旧又野で独特の布団〆が健在でした。東天満は旧松神子で太い布団〆や獅子物の幕は松神子そのものでした。おまけに括りの巻きや貫きの色もピンク色のため見間違えることはありませんでした。もう一台の中村は旧田之上で太鼓台ファンなら誰でも知っている有名な名古屋城の高欄幕がありました。見慣れた太鼓台を別の土地で見るのは何とも感慨深いものがあり、元気でやっているなと声をかけたくなる気分でした。蕪崎・内之川・入野・飯武の太鼓台は新調されていましたが、関・畑野の幕はかなり古くなっていました。

●土居の太鼓台を見たので大生院の太鼓台も見たくなり、中日に大生院ママイ前まで行って写真にしています。船屋・岸影・本郷・上組・野口・下本郷・下組・大谷の8太鼓台が新調されていました。このうち下本郷と岸影の2太鼓台が新居浜分です。下本郷太鼓台の法被の色が白で清々しい感じがしました。岸影は手旗や括りの巻きの色が青とも緑ともつかないエメラルド色であったのが印象的でした。西条の太鼓台では、船屋太鼓台の括りの巻きや貫きの色が赤であり、この色は当時の新居浜では使われていなかった色でした。その他では大谷太鼓台の法被が花札の鴬をデザインした極く粋なものとなっていました。大谷イコール鴬谷のことなのでしょうか。運行所作では数台の太鼓台が担き棒を隣の太鼓台の担き棒とぴったり合わせて差し上げを行う手法が新鮮に映りました。

●前後しますが、2日目の午前中私は例によって国領川河川敷公園に居ました。昨年の事故で運休している又野太鼓台を除く12台の太鼓台が車をつけたまま広場に入ってきていました。入場の際、先に陣取っていた松神子楠崎白浜が持っていったがすぐに納まりました。統一行動終了後、北側に位置していた阿島太鼓台が帰途、最も南側に居た本郷太鼓台を挑発したのです。本郷太鼓台も心得たもので見事に受けて立ち、ほんの小競り合い程度で終ったのですがこれは大ゲンカの第一ラウンドでした。

●午後は大生院ママイ前へ出向いていたので多喜浜駅前へ駆けつけるのが遅れました。どうもおかしな雰囲気です。何でも松神子楠崎宇高にケンカを仕掛けたそうです。そうこうしているうちに本郷が帰途についたところへ阿島が猛スピードで突っかけてきました。場内は大騒ぎとなりましたが本郷は引きました。これが第二ラウンドです。

●こうなったら第三ラウンドがあるに違いないというケンカの臭いを嗅ぎつけた見物客で3日目の垣生エビスセンター前はごったがえしていました。この頃の3日目の午後の運行は、垣生交差点に北側に交差点の中心から宇高・沢津の順に並び、中心から東側(法泉寺側)へは山端・本郷・町の順、中心から南側へは田之上〜阿島と揃った後、山端・本郷・町・阿島〜田之上・宇高・沢津の順で山端広場入りするのが通例となっていた。ところが前年に町と宇高が小競り合っているので再燃を避けるためこの年に限り町と本郷の順番を入れ替えていたのです。このままだと本郷と阿島とが隣り合ってしまうので、川東運営委員会は本郷に対し、例年どおりの順番に戻して運行することを条件に統一行動に入りました。

●運行後山端広場までは何とかなりましたが、八旛さんへ返す道、本郷は町を追い抜き阿島をぴったりマーク、阿島も直ぐ後方に給水車をかます等防御をしていました。ところが本郷自治会前から県道に出たところで、本郷の太鼓は乱打され給水車をやり過して阿島太鼓台に迫ります。当然私は本郷を応援していました。私が本格的なケンカを見るのは昭和46年の山端澤津戦以来です。久々に興奮させられました。あの本郷の幕が痛んでいないか心配でしたが、大したことないとのことでしたので安心しました。聞くところによると本郷は前夜深夜2時まで作戦会議を開いていたとのことです。

●祭り終了後、本郷はオリジナル編集ビデオ「本郷特集」を作製しました。

 

太鼓館巻頭へ 1131 次「平成2年」へ