西正寺穂純 新居浜太鼓祭り回想録(3)

昭和40年 13(水)14(木)15(金)

●この年から地方祭の際の小学校の授業時間が大きく変わりました。それまでは確か1日目は時間割どおりでしたが、2日目は2時間授業で、3日目は1時間授業でした。それが昭和40年から、2日目4時間授業で3日目休みになりました。

●この年初めて「布団締め」や「高欄幕」という名称を知りました。それまでは、「天幕」「九重」「舁き棒」などという名称は知っていましたが、金糸の飾りのことを何と言うのかは良く知りませんでした。当時の子供たちの間では全部ひっくるめて「面」と呼ぶことが多く、下の面とか上の面あるいは九重の面などと呼び分けていたと思います。太鼓台を担く時の掛け声は、「チョーイセージャー」とか「チョーイトセージャー」などと言って担いていました。

●確か町太鼓台に初日事故があって1日間運行停止となっていましたが、 2日目急きょ出場が認められ町部落から宇高経由なしで直接労災病院前まで来たことがありました。当時は、ケンカをしたり死者を出すと1年間(実質は362日)運行停止で、ケガ人を出すと1日間運行停止との不文律がありました。

昭和41年 16(日)17(月)18(火)

●この年に新居浜祭りを大きく変えてしまう一大事件が発生しました。それまで川東・中萩・川西・中萩以外の上部と日程が少しずつズレて行われていた新居浜地方祭が10月16、 17、18日の3日間に統一されてしまいました。私は他の地区の太鼓台にはそれ程興味がありませんでしたので、あまり他所へ行くことはなかったのですが、萩生の萩岡神社の祭りを見たことがありました。岸之下太鼓台と萩生太鼓台(現在は萩生西太鼓台と表記している。)の2台の太鼓台が小高い山に登って宮入りする姿は何とも印象的でした。どっちの太鼓台だったかは覚えていませんが結構新しく、川東の太鼓台よりサラじゃと思ったことを覚えています。川西の一宮神社には父親に連れていってもらった覚えがあります。今にも雨が降りそうな天候の中を2台対2台の計4台の太鼓台が対峙していて、 雨より先にカメラのフラッシュの嵐が降り注いだのを鮮明に覚えています。

●統合祭りになっも川東地区内での行動日程に変更はありませんでした。この年に生まれて初めて多喜浜駅前で新田太鼓台以外の多喜浜の太鼓台を見ました。阿島太鼓台といって緑色の法被でした。 幕はまだ金の輝きを保っていたと思います。

●3日目の八旛神社境内では、 澤津太鼓台楠崎太鼓台とがケンカになったような気がしますが、戦況は覚えていません。楠崎太鼓台は当時かなり古い幕をつけていました。

昭和42年 16(月)17(火)18(水)

●この年には、 3日目宮入り前に県道の垣生カーブ(垣生郵便局付近)で澤津太鼓台本郷太鼓台とが衡突して、それぞれの太鼓台の舁き棒が互いに相手の四本柱に入り合ってなかなか解けませんでした。その後すぐ宮入りしたものの睨み合いが続きます。これには山端も参戦し2対2の揺すり合いは見ごたえがありました。結局境内から県道側に出た本郷・山端組と境内に残った澤津・町組の2対2のケンカに発展してしまいました。参道中半で本郷が来れば澤津が出てきて、町が出れば山端が応戦するといった風の八旛太鼓4台タッグマッチは大迫力だったようです。自分も現場に居たのですが、なにぶん背が小さいので良く見えませんでした。露店の前で太鼓台がぶつかり、売り物のお面がバリバリに割れてしまい、お店のオッサンがカンカンに怒っていました。

●この頃の宮入りの順番は、沢津宇高田之上本郷山端松神子又野楠崎と決っていました。これは概ね西から東への順番ではありますが、氏神や校区を無視して友好関係にある太鼓台同士を並べるという実に良く出来たものでありました。当時は、789とが友好関係にありました。巷では「は組んどる」という言い方をしていました。の順が逆になることもありましたが、これは神社お膝元の町を一番太鼓にと考慮したものと考えられます。また、境内での所定位置は、本殿を正面に見て左側(西側)に、南側から沢津・町・松神子・又野・楠崎の順に、右側には鳥居側から宇高・田之上・本郷・山端の順でした。

    山端 本郷 田之上 宇高 
本殿

    楠崎 又野 松神子 町 沢津

 

(130430追記)境内の所定位置については、従来田之上が南で宇高がその次と記述していましたが、多くの方から「宇高と田之上が逆ではないか」また、「年によって町と澤津が入れ替わっていることもある」旨の情報を頂きました。宇高と田之上については、私の記憶違いの可能性が高いのでここで訂正致しました。この頃の並び位置は結局のところ奉納順に南から詰めていく方法を採っていたのではないかと思います。町と澤津もその年の一番太鼓が西陣南端に位置することになるようです。

 

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