太鼓館基礎研究 過去につけていた天幕

●最近、天幕図柄変更があった太鼓台があります。萩生西太鼓台は新調を機に紫を強調したFタイプになりましたが、それ以前はAタイプでした。そのFタイプをつけていた上泉太鼓台は近年Cタイプをつけていますが、更に11年まではAタイプでした。

●萩生東太鼓台は平成16年まではDbタイプでしたが、平成17年にはDaタイプに変更されました。色目は青と緑の中間で何れとも分かち難い微妙な色使いですが、分類上はDaにしておきました。また、平成15年に天幕図柄変更があった太鼓台は上原太鼓台です。平成13年にはDaタイプでしたが、Bタイプに変更されました。

●一昔前に田之上太鼓台喜光地太鼓台の天幕が変更されました。田之上は永年親しまれてきたDaタイプからへ、喜光地はからへの変更でした。当時としては、どちらも地域内では唯一図柄となりましたが、田之上は戦後すぐまでCタイプをつけていたそうですので復旧したと言うべきでしょう。ところが田之上は平成11年に元のDaタイプに戻しました。

白浜太鼓台Daタイプから11年にDbタイプへ変更しましたが1年限りで、12年からは元に戻っています。

●また、新田(多喜浜)太鼓台も、10年ほど前にになりましたが、その前にをつけていたことがあり、さらにその前(昭和50年代の新調時から約20年間)はでした。もっと前は赤白長方形市松という特徴ある図柄でした。

 

番外1 長方形市松

 

●角野地区でも昭和45年の写真で、角野新田をつけ、北内Dbをつけているのが確認できます。また、それに近い年に角野新田をつけている写真も確認できます。

●八旛氏子の太鼓台に変更はありませんが、一宮氏子では久保田が度々天幕を変更しています。今はDaですが、15年くらい前の写真でDbをつけているのが確認できます。また昭和45年ごろは何とを付けています。西原も戦後すぐにはに変更していたということを聞いたことがあります。

●大生院でも下本郷太鼓台Daですが、かつてaでもないbでもない別タイプの赤白青市松Dc・Ddの天幕をつけていたことがあります。

また、赤白青市松の天幕にはabcdの他にもう一種eタイプがあってこれは20年ぐらい前まで中須賀がつけていたそうです。

そして、赤白紫市松の天幕にも赤白紫赤白紫と繰り返すaタイプのものもあってこれは昭和30年ごろ西原がつけていたようです。

 

番外2 市松 番外3 市松
番外4 市松 番外5 市松

 

●このように天幕の変更は結構頻繁に行われています。ただし、意識して変更した場合と知らぬ間に変更されていた場合があると思います。先の例で言いますと久保田太鼓台のうち、からDbへの変更は意識してのものだと思いますが、DbからDaへの変更や白浜太鼓台DaからDbへ更にDaの変更は、染物屋さんへ注文するときよく伝わっていなかったまま仕上がって来たらaとbが違っていたというケースも多いと思います。元船木太鼓台も以前は赤白緑の市松でしたが、いつのまにか赤白緑白の市松に摩り替わっています。

意識して変更する場合には、何十年ぶりかの新調時にイメージチェンジを図るとか、ゲン直しとかマン直しの意味を込めて変更するのでしょう。

しかし、天幕は永年親しまれてきた太鼓台の顔だけに、いざ変更するとなると自分の顔を整形手術するようなもので、自治会や青年団内部にもいろんな意見があって一筋縄ではいかないと思うのですが、ものすごく勇気のいる行為だと感じます。

(111204    記号変更)
(120806  デザイン変更)
(121104記載事項12年対応)
(130617  デザイン変更)
(130722  記載事項追加)
(130922  記載事項追加)
(140707  デザイン変更)
(151002記載事項15年対応)
(171103記載事項17年対応)
(171223萩生東太鼓台対応)
(221002 見直し近年対応)

番外4赤白青市松eタイプの記事につきましては、お馴染みモモンガエアさんから情報を提供していただきました。ありがとうございました。番外5赤白紫aタイプの記事につきましては、お馴染み黒ハッピさんから情報を提供していただきました。ありがとうございました。

 

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